昇進したことで歩合給がなくなり、逆に給料が下がってしまいました。住宅ロ…
井上慶太(仮名)様 45歳 会社員(営業職)
相談者 | 岡野 勝司(仮名) 様 |
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年齢 | 86 歳 |
職業 | 無職 |
家族 | 妻(84歳)、娘(55歳) |
住所 | 東京都立川市 |
終の棲家として建てた家なので、何とか住み続けたい。ゆくゆくは買い戻して、娘に相続し残してやりたい。
岡野さんは奥さんと娘さんの3人暮らしです。
自宅として56年前に新築で戸建てを建てました。
岡野さんは金融関係の会社で一生懸命働き、ローンを完済。
その後、定年退職して悠々自適に生活して来ました。
ところが、6年前に友人からどうしてもと借金の保証人を頼まれ、自宅を担保提供しました。
友人も最初は順調に返済をしていたのですが、2年前から次第に返済が遅れ、融資した金融機関から岡野さんにも連絡が来るようになりました。
岡野さんも何度か友人へ連絡し、支払いを遅らせないように注意しましたが、次第に友人とは全く連絡が取れなくなり、友人の会社も倒産してしまいました。
友人の会社に融資した金融機関からも一括請求を求められ、支払わなければ担保提供した自宅を競売にかけるという通知が届きました。
困った岡野さんは、昔の人脈を頼りに自分で商売を始めたり、知人に協力を依頼しましたが、とても請求されている金額を用意することが出来ませんでした。
そのうち予告通りに自宅に裁判所から競売開始決定通知が届き、岡野さんの自宅の競売が開始されました。
岡野さんはそれでも諦めず、他の友人や親せきにも協力を依頼して回りましたが、時間だけが過ぎていき、協力を得ることは出来ませんでした。
ついには競売の入札まで1ヵ月余りとなったとき、岡野さんはもうこれ以上は自力で解決できないと覚悟しました。
丁度そのころ、娘さんがインターネットで当協会の事を知り、何とかリースバックで住み続けることが出来るのではないかと、ご相談にお見えになりました。
面談で岡野さんは今までの苦労と、自分の借金ではないのに自宅を競売で失いつつある現状に、とても悔しい思いを話してくれました。
岡野さんのお気持ちは、自分の為ではなく、一緒に暮らす娘さんに家を残したい一心でした。
リースバックならまた買い戻して、娘さんに家を残してあげるチャンスがあると。
今回、岡野さんのリースバックを成功させるために2つのポイントがありました。
1つ目は、抵当権が3つ設定されていましたが、それぞれ問題を抱えていました。
まず、1番抵当権者は全額完済していましたが、その抹消書類が無く、再発行をお願いするか、探すしかありませんでした。
2番抵当権者は遅延損害金の請求額が膨大になっており、その金額を下げないとリースバックの話がまとまりません。
3番抵当権者は個人の金融業者で、返済金額も未確定で、交渉に応じるかどうかも分からない方でした。
2つ目は、残された時間が短い事でした。依頼を受けた時点で、競売の入札まで1ヵ月しかなく、すぐに抵当権者との交渉と投資家を探す作業を同時に始めなければなりませんでした。
まず、1番抵当権者の抹消書類については、何とか再発行で対応することが出来ました。
2番抵当権者は、今回の競売の申し立てを行っており、かつ請求元金の約2倍の損害金も請求していたので、時間が無い事を理由にしても簡単にはこちらの話に応じてくれませんでした。
そこで、今回のリースバックの価格の妥当性、資金回収までの時間、残金の取り扱いについて岡野さんの計画を丁寧に説明し、何とか元金と少しの損害金と競売経費で納得してもらう事が出来ました。
最後に問題の3番抵当権者との交渉が残りました。
こちらも元金だけではなく、遅延損害金をその2倍も請求されていました。また、岡野さんが今まで支払いを約束しながら何度も反故にしていたので、3番抵当権者の個人債権者の方は、こちらの提案も容易に受け入れてくれませんでした。
そこで、売買契約書と配分額の明細等を提示し、粘り強く交渉を続けました。
最初はなかなか話に応じてもらえませんでしたが、次第に態度も軟化し、最期にはこちらの提案を受け入れてもらう事が出来ました。
岡野さんの希望と投資家の希望のすり合わせも順調に進みました。
そして、何とか開札日の4日前に決済を終えることが出来ました。
定年退職して悠々自適に生活していたのに、次から次へと不運なことが自分の身に降りかかり、まさに人生のどん底に突き落とされたような気持でした。何とかしなければという一心だけで、浜崎さんにたどり着き、今回無事に助けていただきました。本当に感謝しても感謝しきれない恩をいただきました。娘の為にも買い戻せるよう頑張っていきたいと思います。
岡野さんは無事にリースバックが成立したことを本当に喜んでいました。
岡野さんが「自力で解決できない時は、無理してあがこうとせず、専門家に早めに相談することが一番大切だと分かりました。」とおっしゃっていたのが印象的でした。